日野町には任期16年間を務め上げた素晴らしい町長がいます。
藤沢なおひろ町長です。

町民のために頑張ってくださった藤沢さんのことを一人でも多くの方に知ってほしいと思い、任期16年間の歩みをご紹介させていただきます。
私自身知らなかったことも多かったので、資料や広報誌などを参考にして調べたことをまとめました。
藤沢さんが町長候補になるまで
まだ私が小学生の頃の2004年、日野町では蒲生町との合併反対の大きな住民運動がありました。
合併についての是非を問う住民投票を求める運動が行われ、2回も法定数に達する署名を集めたにもかかわらず議会が否決。ついに当時の町長だった奥野弘三氏をリコールするしか合併を止める方法はなくなりました。
リコールの署名も法定数に達するというとき、奥野氏が町長を辞職し選挙に出馬表明しました。
誰か対抗する候補者を出さなければならないというときに、藤沢さんに声がかかりました。
2004年6月。藤沢さんは「わしは町長になるぞ」と家族に告げられたそうです。
「選挙に出るぞ」ではなく「町長になるぞ」という言葉から強い使命感と決意が感じられます。
当時の藤沢さんは48歳。県職員を辞め、日野町長に立候補されました。
藤沢なおひろ日野町長の誕生
2004年7月。選挙の争点となったのは合併について。
藤沢さんは、日野町は合併について慎重に扱うということを公約として見事当選。
※【得票数:藤沢直広7,714票・奥野弘三5,556票】
この当時を振り返り藤沢さんがブログを書かれています。
⇒「平成の合併」をひっくり返した住民のチカラ!2004年(平成16年)に私が町長になった理由とは。
財政の健全化
令和元年度の町税収入は、史上最高の41億円になりました。
藤沢さんが町長に就任したときの町税収入は30億円でした。

藤沢さんの町政運営の特徴として『利益誘導や癒着をしない』ということがあります。
町の仕事は町内業者に発注し、国の補助事業をうまく活用しながら着実に事業を進めてきました。
「合併しないとできない」と言われていた日野中学校の改築も見事実現。
中学校での学校給食も直営・自校方式で実現しました。
また、日野町のふるさと納税は総務省から優良活用事例として紹介されています。
人当たりが良くとても優しい藤沢さんを応援するファンがたくさんいます。
あたたか日野町みんなの会広報誌より↓↓↓

子育てや教育の支援にも熱心に取り組んでくださいました。
子どもを育てやすい環境を整備してもらえるということはとてもありがたいことです。
これからの私たちの責任
『故郷に対する誇りと愛着』を町民に伝え、教えてくれたのは藤沢さんです。
藤沢さんが町議会で『少数与党』という表現をされていることが今まで理解できていませんでした。
町議会の様子を自分の目で見て確かめれば良かったとさえ、今になって思っています。
ただ、今回の町長選挙で気づくことができたのでまだ手遅れではないと思います。
『住民が主体の自治』を訴えてこられた藤沢さん。
知れば知るほど魅力あふれる人です。ここでは書き切れませんのでもっと調べてみてください!
私たちの責任は、これからも続いていく町議会・町政に注目していくことだと思います。
故郷に対する誇りと愛着を持ち続け、自分の町のことは自分たちで考えられる大人でありたいと思います。
【最後に大切なお知らせ】
2020年7月10日(金)17時半
日野町役場正面玄関に集合して藤沢さんに感謝の気持ちを伝えましょう!
退任式のため藤沢さんが出てこられるそうですのでお時間の合う方はぜひ!
⇒追記
2020年7月10日の退任式には、町民と役場職員600名余りが集まりました。
町内の方に限らず町外からもいらっしゃっているようでした。
みなさんに惜しまれながら、藤沢町長から最後のご挨拶。
町民に向けては、「町民の力で日野が日野として歩みを進めることができた。底力を見せてもらい胸を張れる。」と言ってくださいました。
また、役場職員のみなさんに向けては、「町長ではなく町民のために仕事をするんだと絶えず申し上げてきた。公平・公正で信頼され、忖度や利益誘導とは無縁の日野町をみなさんの力でつくっていってほしい。」と呼びかけられました。
「こんな町長は後にも先にもいない!」と何人の人から聞いたことか…。
鳴り止まない拍手とこれだけの人を集めることができる藤沢町長を見ていると、改めて藤沢さんは魅力溢れる人だなぁと感じました。
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