私自身は、『負の世界遺産アウシュヴィッツ強制収容所へ』ツアーに参加はしていませんが、とても関心があったのでピースボートオプショナルツアーの参加者にお話を聞かせていただきました。
このツアーは、7日間(2018年6月11日~17日)のオーバーランドツアー(バルセロナからル・アーブルまで船から離脱)でした。
ツアーの内容は、ユダヤ人をはじめ、政治犯、障がい者、同性愛者など、多くの人びとが理不尽に命を奪われたアウシュヴィッツ強制収容所を訪問し、なぜ大量虐殺が起こったのかを考え、「伝えていくこと」の大切さを見つめ直すというものです。
第二次世界大戦中にナチス・ドイツが行った大量虐殺・ホロコースト。
このツアーに申し込もうか悩んだくらい関心はありましたが、お恥ずかしい話、この悲しい歴史に関しての詳しい知識がほとんどありませんでした。
そこで正直にそのことを話して、1から教えてもらえることになりました。
ホロコーストとは、ナチス政権とその協力者による約600万人のユダヤ人の組織的、官僚的、国家的な迫害および殺戮を意味します。 「ホロコースト」は「焼かれたいけにえ」という意味のギリシャ語を語源とする言葉です。
1933年1月にドイツで政権を握ったナチスは、ドイツ人を「優れた人種」であると信じる一方、ユダヤ人を「劣った人種」であると見なし、いわゆるゲルマン民族のコミュニティに対する他民族による脅威であると考えました。
また、ホロコーストの時代、ロマ族(ジプシー)、身体障害者、一部のスラブ民族(ポーランド人やロシア人など)も「劣った民族」であると見なし、迫害の対象としました。 また、共産主義者、社会主義者、エホバの証人、同性愛者など、政治的、思想的、行動的な理由から迫害された人々もいました。
1933年のヨーロッパにおけるユダヤ人の人口は900万人を超えていました。 1945年までにドイツ軍とその協力者は、ヨーロッパのユダヤ人を殺害するというナチスの政策「最終的解決」の一環として、ヨーロッパ在住ユダヤ人の3人に2人を殺害したのです。
荷物はすべて取り上げられ、女性は髪を切られたそうです。
そして悲しいことに、ユダヤ人や障がいのある人、LGBTの人などはその中で差別し合ったり、傷つけ合ったりしていたそうです。
現在の社会でも差別があるように、人はそんな風にしないと自分が安心できないのかもしれないと感じました。
いじめられたら自分より弱い立場の人をいじめる。
奪われたら自分より弱い立場の人から奪う。
そんな風にして小さな社会の中で起こっているように感じていたことが、世界レベルで考えたときに紛争や戦争が終わらない・なくならない理由なのかもしれないと感じました。
そして話の最後に、ツアーに参加して感じたことを詩にしたものを見せてもらいました。
とても考えさせられる詩だったので今回お願いをさせていただき、ブログで公開する許可をいただきましたのでみなさんにも共有したいと思います。
「 白と黒の私 」 作:Makihara Togo
アウシュヴィッツ
そこには あらゆるものを
奪われた 白い「私」がいた
ユダヤであるがゆえに…
劣等種であるがゆえに…
あるいは 正義を語ったがゆえに…
白い「私」はゲットーを追われて 運ばれた
終着駅の死の門をくぐると
右と左に振り分けられ
髪の毛は刈られ
裸は晒された
右に進めば 病み 傷つき
死ぬことによる以外の解放なき
強制労働が
白い「私」を待ち
左に進めば ガス室のチクロンBが撒かれ
焼かれ 燃やされ 煙となって
白い「私」は 空に漂うことが できるのだ
あるいは 煙となって
召されることも ままならず
衣服を剥がされ
幾重にも 積み重ねられると
もはや名も無き白い「私」は
一塊の物となり
深く地に埋められるのだ
アウシュヴィッツ
そこには あらゆるものを
奪う黒い「私」がいた
ダビデの星であるがゆえに…
劣等種であるがゆえに…
反逆者であるがゆえに…
おそらくは 黒い「私」の瞳は
濁されることはない
時には 故郷の村のたたずまいや
愛おしき家族の姿を
想い浮かべながら
手にした銃の硝煙も 血の匂いでさえも
もはや名も無き黒い「私」にとって
それは 何気なき日常でしかないのだ
叫び 呻く声と
鳥たちのさえずりも
目前に横たわる屍と
可憐に咲き 香る野の草花も
黒い「私」には さして違わず
変わることがないのだ
アウシュヴィッツ
そこには あらゆるものを
奪われた 白い「私」がいた
アウシュヴィッツ
そこには あらゆるものを
奪う 黒い「私」がいた
アウシュヴィッツは 名を変えて
今も世界のどこかに
あるはずだ
そこには 差別と偏見から抜け出せず
もがき苦しむ
白い「私」がいるかも知れない
アウシュヴィッツは 名を変えて
今も 世界のどこかに
あるはずだ
そこには無知と無関心から抜け出せず
心虚しき
黒い「私」がいるかも知れない
白い「私」と
黒い「私」を
のりこえて
明るき「私」よ
蘇れ!
こうやって感じたことを詩にしたりダンスにしたりと、いろんな表現方法で発信する人を見ていて、発信することはとても大切だと感じました。
これを読んで私は涙が溢れました。
感じるものがありました。すごく。
私たちはそこから何かを感じて、
もっと自分事として考えることがとても大切です。
1985年ドイツ大統領ヴァイツゼッカーの
「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目である」という言葉がとても印象的でした。
過去の出来事に対する責任はないかもしれないけれど、未来で同じ出来事を起こさないという大きな責任を感じました。
まずは自分の周りの人たちを大切にして、小さな幸せを大切にしていきましょう。
身近なところからでいいと思います。
そうすればきっと平和な世界が実現するはずです。
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