【台湾/基隆】千と千尋の神隠しの舞台となった九份のレトロな街へ!

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世界一周

 

2018年5月12日 1寄港地目(1/25寄港地)

 

記念すべき1寄港地目は台湾の基隆(キールン)!

 

 

ピースボートに乗船して初めての寄港地

そして、初めての台湾

 

 

果たして無事に観光できるのか。

ちゃんと船に戻ってこられるのか。

結構な不安を抱えながらも、

部屋のメンバー2人と一緒に観光をすることにしました。

 

台湾での観光の目的は、

スタジオジブリ作品『千と千尋の神隠し』の

舞台となったといわれている九份(キュウフン)へ行くこと

タピオカミルクティーを飲むことでした。

 

基隆港から歩いて出て、まずはバス停を探しました。

基隆から九份まではバスで行きます。

 

 

バス停はすぐに見つけたものの、

これで合っているのかわからず迷っていました。

すると、日本語で話しかけてくれる台湾の方がいました。

 

台湾は親日国であると聞いていましたが、

その方は本当に親切に九份までの行き方を教えてくれました。

 

「日本が好き」と言ってくれる外国の方に出会えたことが

とても嬉しかったです。

 

ちなみに、バスに関して日本と違って驚いたことは、

バス停にいても手をあげないとバスは止まってくれないという

タクシーみたいな制度だったということです。

 

その後、無事にバスには乗れたのですが、

運賃の支払い方がいまひとつ理解できませんでした。

 

しかも、運転手さんが要求してきた運賃が

調べていたよりもちょっと高かったので納得できず。

 

ん?もしかして払い過ぎ?とか思っていましたが、

つたない英語では伝わらず、仕方なく言われたようにお金を支払いました。

 

乗るとき支払って降りる時も支払う?

乗るとき支払って降りる時はそのまま降りるだけ?

 

気になったので後にネットで調べてみましたが、

乗るときに支払っても走行距離が長くなると

降りる時も支払うということがあるらしく、

料金形態が複雑な感じでした。

 

観光客が多いのでわかりやすく書いてあればいいのにと思いました。

バス内に運賃の表示すらなかったので結構困りましたね。

 

あと、気をつけないといけないのが運転の荒さです。

なるべく着席することをおすすめします。

 

ゴタゴタしましたが、なんとか無事に九份に到着しました。

 

 

1890年に金脈が掘り当てられ、

わずか9世帯だった村が瞬く間に4,000世帯の都市へと変貌し

「アジアの金の都」とも呼ばれて栄えた九份。

 

細い路地にズラーっとお店が並んでいました。

 

 

お腹も空いてきたので、

台湾のおふくろの味ともいわれている魯肉飯(ルーローハン)を食べることにしました。

 

 

私の個人的な感想としては、

五香粉の独特な甘い芳香が少し苦手でした。

 

 

少しお腹を満たして、またずーっと道なりに進んでいくと、

街全体が見渡せる場所がありました。

 

 

山の緑の先には東シナ海を見渡せます。

 

そして少し来た道を戻って

『千と千尋の神隠し』の舞台となったといわれている

提灯のたくさんあるエリアに着きました。

 

 

 

スタジオジブリの世界に来たみたいで

なかなか興奮しました。

 

 

また、『千と千尋の神隠し』の裏テーマで

ハンセン病が描かれているという話を聞いたことがありますか?

 

ピースボートには水先案内人(みずさきあんないにん)という

旅をより有意義なものへと導くナビゲーター(ジャーナリスト、エンターテイナー、作家、NGO活動家、大学教授など)がさまざまな区間で乗船します。

 

私は、その中の一人であった森元美代治(もりもとみよじ)さんのお話を聞いて、

初めて裏テーマのことを知りました。

 

彼は、日本で初めてハンセン病患者として

実名でカミングアウトをされた方とのことでした。

 

お恥ずかしながら、

ハンセン病の歴史、全然知りませんでした。

 

日本の台湾統治時代、

おそろしい伝染病とされたハンセン病の患者を隔離するために

「楽生院」という療養所が建設された。

 

1931年、日本中のすべてのハンセン病患者を療養所に強制隔離する

「癩(らい)予防法」が制定された。

この「ハンセン病は恐ろしい伝染病である」という間違った認識により、

ハンセン病をなくそうという「無らい県運動」が日本中で広がった。

 

当時、台湾や韓国を植民地支配していた日本は、

植民地でも隔離施設としての療養所をつくり、

ハンセン病は恐ろしい病気だと宣伝し、患者をあぶりだし、

生涯閉じ込めるための強制収容を行った。

 

ひとたび強制隔離されると、根強い社会的偏見や差別により、

家族や友人とのつながりも絶たれるため、

回復後も故郷に帰ることがでいないハンセン病回復者やその家族が、

今でも楽生院に暮らしている。

 

『千と千尋の神隠し』に隠れているハンセン病についての描写は、

千尋のお父さんお母さんを座敷豚、働かないと食べ物をやらない、

千尋という名前を「千」に変えることなどがそうです。

 

このことを知る前と知った後とでは、

少し違った気持ちで観光ができました。

 

ブラブラ歩いていると、

名物とあってタピオカミルクティーがそこらじゅうで売っていました。

 

 

安くておいしそうなお店で買いました。

少し量は多かったですが、飽きずに最後まで飲めました。

 

とってもおいしかったです。

 

船は、次の寄港地に向けての出港時刻が決まっているので、

帰船リミットというものがあります。

だいたい遅くても出港の1時間半前には船に戻っていなければいけません。

 

初めての台湾で、移動の時間もつかめなかったので

少しお土産を見た後は、早めに基隆港近くまで戻っておくことにしました。

 

 

帰りのバス停の近くにはアジアっぽい建物がありました。

色鮮やかで細かい細工に目を引かれました。

 

 

基隆港近くのお店では、日本のお菓子や日用品もたくさん売られていました。

日本企業の外食チェーン店である「すき家」もありました。

 

 

街中はバイクや車、バスがたくさん走っている印象を受けました。

 

 

ぼちぼち時間も近づいてきたので船に戻ると、

船のマスコットキャラクターである「シップリン」が出迎えてくれました。

 

 

なんだか可愛かったので一緒に写真撮ってもらいました。

 

 

不安もありましたが観光の目的もすべて達成できて、

すごく楽しかった台湾!

 

 

また行きたい国です!

 

次は【シンガポール】念願のヘナタトゥー!そしてやっぱりマーライオンは外せない!

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